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本当にこんなサウンドのCDが作れた!

 

2008年の10月でした。美容師をしている僕は、お店にこられている常連さんに、新しく導入したあるものをお勧めしました。

そのお客様が、一言僕に言いました。

 

「わかった!それするから、あんたもなんか私にして見せて」

 

こんな会話が交わされました。

はっきりいって戸惑いました。交換条件なんか長い美容師の仕事では全くありませんでしたから・・・

 

そこでたまたまですが、友人の家から借りてたギターが店にありました。

 

そのギターも、友人宅では邪魔もののようになっていたようで

たまたまその家に伺った時に、久しぶりにつま弾いて、自分のが持っていたギターよりはるかにいい音を出していたので、僕が、「邪魔なら店においとこうか?」っという程度のものでいた。

 

そんな邪魔者扱いされていたギターとの出会いが、まさか!まさか・・・あれよあれよと勘違いを引き起こしていきました。

 

「私に何かして見せて」・・・そう言われた僕の行動は、その方の前でギターを弾きながら唄うことでした。

 

歌った唄は、泉谷しげるさんの「春夏秋冬」

ものすごく恥ずかしかった記憶があります。

なんせ営業中の美容室の日中の2時ごろだったので・・・

 

歌い終わった僕にお客さんが一言!「良いじゃん!上手いじゃん!」お世辞でも嬉しい言葉でしたね。

すでにここで勘違いを起こし始めたのでした。

 

「俺はいけるかも」・・・

その日から、友人のギターを店が暇なときに弾きはじめるのでした。そんな日々が2ヶ月ほど続いたでしょうか、12月25日のその日最後のお客様が来店した時に、無性に唄ってみたくなったので、「クリスマスですから何か歌いましょうか?」

なんて自分から申し出たのです。

 

よほどやることがなかったのでしょう。お客様は僕がそんな事をするとは思ってなかったようで、びっくりしていましたが、僕の歌を聞いてくれました。

そしてその時ポロっと涙を流してくれました。

 

大きな勘違いをした瞬間でした!

 

「俺の歌で泣いてくれた」・・・そう思ったのです。

本当は歌詞の内容に感動したんだと、後になってわかりました。

 

しかし、僕の勘違いはとどまる事なく、すでにこの時、ライブがやりたい!そう思うようになっていました。

その時のレパートリーはわずか5曲。

 

でもライブをしてみたい衝動は止められず、3カ月後に自分の店でライブをする事を告知していました。

 

「いちご白書をもう一度」

「傘がない」

「遠くで汽笛を聞きながら」

「春夏秋冬」

「心もよう」

 

ギターを久しぶりに始めて、自分がまあまあ弾き語れるかなっと思っていたレパートリーでした。

この5曲では2時間ライブはとてもじゃないけど持たない。

そう思った僕は、レパートリーを増やし始めたのでした。

 

そして、初めてのライブの日はやってきました。

ギターもPA機材もすべて借り物での初ライブ。ギターの音も全くあっていないのにライブをやったのです。チューナーという存在すら知らなかったので、自分の耳で合わせただけでした。

そんな初ライブの模様はこちら→

 

 

 

このライブが終わった後、僕はお寺でライブをしてみたくなっていました。そこで知り合いのお寺にギターを抱えて殴りこみ的なオーデションに出かけて行きます。

その時の画像ですが、髪の毛が全くありません。別にお寺に行くから剃っていたわけではなく、一度やってみたかった髪型だったのですね!

 

 

自分の実力など全く考えることなく、ただやってみたい!そんな思いだけで動いていきました。するとそんな行動を助けてくれる人達に出会って行きました。

 

 

寺ライブはオーデションをした10日後には、お寺の行事に呼ばれ、その年の8月に寺ライブを行う事になりました。

そこで後に音楽で町を応援する団体「元気マグネット」を一緒に立ち上げる岡野氏に出会います。

 

音楽をはじめ翌年の2010年には、川棚コルトホールで行われることになった「懐かしの唄を一緒に歌う会」の立ち上げに参加させて頂き、偶数月の「フォークソングとニューミュージックを唄おう」を担当させていただくようになりました。2015年5月現在も続いている人気のイベントに成長しています。

 

 

 

また、同年4月に「元気マグネット」を岡野氏と立ち上げ、6月に初の野外イベントとして「菖蒲園ライブ」を開催し、この田舎町にはなかったアマチュアによる音楽ライブの足がかりを作っていきました。

 

「元気マグネット」同年10月に杜屋神社で「秋祭り」を企画し

神事が残っていたお祭りに、賑やかさを付け加えた感じで今も継続しています。

 

「元気マグネット」としていろいろなイベントや、ライブなどは、すべて公共の資金などの補助には頼らず、出来る事を地道に続けて行きました。

 

そんな音楽活動を、お店や豊浦町を中心にやっていた時、全国を回っているプロのツアーミュージシャンに出会いました。

 

何度も何度もこの田舎町にも足を運んでくれました。

そして自分達の活動に共感してしてくれました。

 

そして、その方々が、「CDを作って活動の資金の足しにしたら」と言ってくれました。

その為のレコーディング作業は自分達が手伝ってあげるよ!って行ってくれました。本格的なレコーディングへの挑戦でした。

 

 

 

 

 

ミキシングしてくれるミュージシャンのチキピーさんは

「どんな設備が整った場所でレコーディングする事より、音楽を始めたKOUさんの店がいい!そこが一番いい音が取れるよ」!っと言って機材一式を運んで来てくれました。

また、歌唱指導は圓三師匠がそばでしてくれました。

 

めっちゃ緊張しました!!

 

 

6年前ギターの音合わせのチューナーの存在も知らなかった自分でした。音響機材なんかも全部借り物でした。音楽知識などほとんどなく、ただ唄うことがなんか楽しくて、「やってやれない事はない、やらずにできるわけがない」

そんな言葉を信じてやり続けてきました。

 

数年前まで、美容師の仕事中心で、まさか自分が詩を書いたり曲をつけたりして人前で歌うなんてカラオケを除けばない事でした。

 

これからも、素敵な人達と出会えるよう唄う美容師として精進して行こうと思っています。

 

2015年5月吉日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出会いは自分を変えてくれました

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